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長崎街道筑前六宿のひとつ、山家宿(やまえしゅく)に「日本唯一閨秀(けいしゅう)詩人原采蘋塾跡」という石碑があります。幕末の動乱期にあって、生涯の大半を遊歴の中に過ごし、女流三傑の一人と謳(うた)われたのが原采蘋です。
Museum in a Shoebox is a new center for contemporary architecture, art and design. It serves as an interdisciplinary platform of ideas. The building, designed by Aleksandr Kuznetsov, contains one large exhibition space and one small gallery for small exhibitions. It also hosts a state of the art cinema, theater, auditorium, ten seminar rooms and a library. The Museum’s popular café and gift shop is situated on the ground floor.
The entire building is accessible to people using wheelchairs.
An encyclopedic reference work cataloging all of the world’s 6,909 known living languages
狭く暗い箱に生きたまま閉じこめられ、海に流される——何とも恐ろしい状況だ。そこで金光坊(こんこうぼう)は、小舟にくぎ付けされた箱を必死の体当たりで壊して脱出するが、翌夕発見され、再び潮の中に押し出される。
写真地元では10日、町民有志による2度目の補陀落渡海再現芝居があり、復元された小さな渡海船が金光坊島近くまで危なっかしく進んだ=和歌山県那智勝浦町浜ノ宮で
熊野の補陀洛山寺(ふだらくさんじ)(和歌山県那智勝浦町)などに伝わる儀式をテーマにした井上靖の「補陀落(ふだらく)渡海記」(1961)は、陰惨ともこっけいともいえる名作だが、元史料の熊野巡覧記は「此(この)僧甚だ死をいとい命を惜しみけるを、役人是非なく海中へ押し入れける」とそっけない。
16世紀末と推定されるこの出来事の後、同寺の渡海は僧を死後に水葬する儀式に変わったが、僧の亡霊が死人を食う怪魚「ヨロリ」になるという伝承や金光坊島(こんこぶじま)の名はいまも残る。
もっとも怪魚の正体は、小骨は多いが味のよいクロシビカマスで、伝承と違って小田原などの海にも多く、盛んに蒲鉾(かまぼこ)にされているという魚類学者の言を南方熊楠が紹介している。
日本宗教史の謎とされる、こうした渡海に関する約170の論考や史料を「補陀落渡海史」(2001)にまとめた根井浄(ねいきよし)龍谷大学教授によると、同寺上人の補陀落渡海は、868年から20件記録されているが、堺、四国、九州などからの渡海や氏名不詳の例なども含めると1909(明治42)年まで計60回。うち生還の記録は沖縄に漂着した日秀上人だけという。
「ふだらく」は、梵語(ぼんご)の「ポータラカ」で、インドの伝説の山や海上はるかにある観音菩薩(ぼさつ)の浄土をさす。チベットのポタラ宮や音読みで日光山に変わったという二荒(ふたら)山も同語源だ。
舟の四方に鳥居を立てる様式は古代の水葬にも近いが、母殺しの罪を償うため、断食や不眠の苦行の後に渡海した行者や、村代表らしい複数の男女の集団渡海もあることから、根井教授は、その動機として個人的滅罪と、人々に代わって苦や罪業をうけ共同体を救おうとする、いわゆる代受苦の精神を想定している。
時には数人から20余人の同行者を伴い、歓喜のうちに実施された渡海は、宣教師らには「日本人を偽の天国に導く悪魔の奸策(かんさく)」と映ったが、こうした苦行や捨身(しゃしん)を崇高と感じる心理は仏教の伝来前からあったらしく、奈良、平安時代も入水や焚身(ふんしん)などが僧尼令で禁止されるほど多発したという。
その心理の古層は、戦後、西欧近代の発想を習合しつつも特攻隊員の手記に涙し、回峰行者や大峰先達を敬う現代の私たちにもあるに違いない。
井上靖の小説と同時期に注目された国文学者・益田勝実の論文「フダラク渡りの人々」(1962)は、渡海者の抱く生と死の意識の不思議な重なり合いについて「わたしたちの民族は二十年ほど前『死して護国の鬼となる』という自覚のもとでの死で、似通った体験をもっている」と鋭い指摘をしている。